『辞めたら損害賠償を請求する』は本当?パワハラ上司の脅しと強い引き止めへの対処法を社労士が解説

「辞めたいと伝えたら、上司に怒鳴られた」「『辞めるなら損害賠償を請求する』『違約金を払え』と言われて怖くなり、退職を言い出せなくなった」——このような強い引き止めや脅しに直面し、恐怖から身動きが取れなくなっている方は少なくありません。

結論からお伝えすると、こうした脅し文句の多くは、法的に実現することが極めて難しいものです。この記事では、社会保険労務士の立場から、退職時の脅しや強い引き止めがなぜ法的に成立しにくいのか、そして安全に退職するための対処法を解説します。

怖くて言い出せないのは、当然の反応です

大きな声で怒鳴られたり、「損害賠償だ」「訴えるぞ」と言われたりすれば、誰でも恐怖を感じ、萎縮してしまうのは当然のことです。それは、あなたの心が弱いからではありません。

さらに、こうした言動が繰り返されたり、人格を否定するような言い方を伴ったりする場合は、パワーハラスメント(パワハラ)に該当する可能性があります。労働施策総合推進法(パワハラ防止法)では、事業主に対してパワハラの防止措置を講じる義務が課されています。「怒鳴られるのが怖くて言えない」という状況自体が、本来あってはならない職場環境である場合もあるのです。

まずは、「怖くて動けない自分がおかしいのではないか」と自分を責めるのではなく、「そのような環境に置かれている自分を守る方法を考える」という視点に切り替えていただきたいと思います。

社労士が解説:退職時の「脅し」が法的に成立しない理由

労働基準法16条:あらかじめ賠償額を定める契約は禁止されている

労働基準法第16条では、会社が労働契約の不履行について、あらかじめ違約金を定めたり、損害賠償額を予定する契約を結んだりすることを禁止しています。

つまり、「途中で辞めたら罰金〇〇万円」「研修費用として一律〇〇円を請求する」といった取り決めが雇用契約や就業規則にあらかじめ書かれていたとしても、それ自体が法律違反であり、原則として無効です。会社がこうした条項を根拠に金銭を請求することは、そもそも認められません。

損害賠償が認められるハードルは非常に高い

労働基準法第16条が禁じているのはあくとまで「あらかじめ額を定めておくこと」であり、退職によって会社に現実に生じた具体的な損害についてまで、一切請求できないというわけではありません。しかし、実際に損害賠償が認められるためには、会社側が「具体的にいくらの損害が、その労働者の退職行為によって生じたのか」を個別に立証しなければならず、そのハードルは非常に高いのが実情です。

単に「急に辞められて困った」「後任が見つからず売上が落ちた」といった事情だけで、労働者個人に損害賠償責任が認められるケースは、通常の退職においてはほとんどありません。裁判例でも、労働者の一般的な退職行為について高額な賠償責任が認められることは稀です。「損害賠償を請求する」という発言の多くは、法的な裏付けのない、引き止めのための脅し文句にとどまっているのが実態です。

退職の自由は民法627条で保障されている

期間の定めのない雇用契約であれば、労働者はいつでも退職を申し入れることができ、申し入れから2週間が経過すれば契約は終了します(民法第627条第1項)。会社の同意や許可を必要とするものではなく、退職するかどうかを決める権利は、労働者自身にあります。

脅しや強い引き止めに直面したときの対処法

対処法1:口頭でのやり取りにこだわらない

怒鳴られる、威圧されるといった状況で、無理に対面や電話でのやり取りを続ける必要はありません。退職の意思表示は、退職届やメールなど、記録に残る形で行うことができます。直接顔を合わせずに意思を伝える方法を選ぶことも、正当な自己防衛です。

対処法2:やり取りは記録に残す

もしどうしても対面でのやり取りが発生する場合は、日時・発言内容をメモに残す、可能であれば録音するなど、記録を残しておきましょう。万が一、後にトラブルが大きくなった場合の重要な証拠になります。

対処法3:一人で抱え込まず、外部の専門機関に相談する

強い引き止めやパワハラが続く場合は、会社の労務担当や社内窓口だけでなく、労働基準監督署や、都道府県の労働局が設置する総合労働相談コーナーなど、外部の相談窓口を利用することも検討しましょう。

対処法4:会社と直接やり取りせずに退職する

「もう会社の人と一切やり取りしたくない」というほど追い詰められている場合には、退職代行サービスを利用し、自分は会社と一切接触しないまま退職の手続きを進めるという方法もあります。

退職代行を利用する場合に知っておきたいこと

退職代行サービスは、運営元によって対応できる範囲が異なります。

運営元 できること
弁護士 損害賠償の脅しに対する法的な反論・交渉、慰謝料請求などすべての法的代理行為が可能
労働組合 団体交渉権にもとづき、会社側と退職条件について交渉できる
民間業者(社労士運営・監修含む) 退職の意思を会社に伝える「使者」としての役割。会社との交渉はできない

すでに具体的な金額を提示されて損害賠償を請求されている、あるいは会社との間で金銭的なトラブル・紛争に発展している(またはその可能性が極めて高い)場合は、会社との交渉や法的な反論が必要になります。この段階では、非弁行為(弁護士法第72条)を避ける観点からも、弁護士が運営する退職代行、または弁護士への直接の依頼が必要です。労働組合が運営する退職代行であれば、団体交渉権にもとづき、退職条件について会社側と交渉することもできます。

一方、社労士が運営・監修する民間サービス(弁護士資格を持たない業者を含む)が対応できるのは、あくまで「損害賠償を請求する」といった発言が脅しにとどまっており、実際の金銭紛争にまでは発展していない段階での、退職の意思表示の伝達です。会社との間で条件の交渉や金銭のやり取りが必要になった場合には、民間サービスの対応範囲を超えるため、労働組合や弁護士への切り替えを検討してください。ご自身の状況に応じて、適切な運営元を選ぶことが大切です。

まとめ

「辞めたら損害賠償を請求する」という脅しの多くは、労働基準法第16条により無効であるか、実際に立証・請求されることが極めて少ないものです。退職の自由は民法第627条で保障された労働者の権利であり、怒鳴られたり脅されたりしてまで我慢を続ける必要はありません。記録を残す、外部の相談窓口を利用する、直接やり取りをせずに退職代行を利用するなど、自分を守るための方法はいくつもあります。

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※本記事は一般的な情報提供を目的としたものです。個別の法的紛争や個別具体的な判断が必要な場合は、必要に応じて専門機関にご相談ください。

監修:社会保険労務士 福岡泰弘(登録番号:14200009)